命を張った旅行
久しぶりに会った友人から、『高谷ちゃん、あんたこの頃
命を張った旅行、行ってないん?……』と聞かれた。
命を張った旅行…..? 何の事やろ?
ウズベキスタンとかエジプトとか、暑すぎてバテて、帰国
して体重を計ったら5キロ痩せてた!……
出てくる食事、ビール等含め食べ物が美味しい、特にウズベキスタン。
でも、ひまわり油は日本人の腸内細菌が分解しにくく、一週間くらい
たたないと上手く受け付けてくれないのネ。
だから旅行の期間、ビールをがぶ飲みしたり、美味しいからと料理を
たらふく食べると、えらいことに成る訳。
高熱が出て、本当に苦しいからネ!
観光どころじゃあなくなるからネ……。
一緒に行った枚方の先生なんか、ビール美味しそうに飲んで
その晩、救急車で行ったから….。
ああ~、あの事ネ
その子が言うに、『私、L(フィットネス)に行こうと思って
たのヨ。でも、旅行しただけで5キロ痩せられるのだったら
ええやん。ところで旅行代、いくら?…….Lと変わらないネ。
旅行に行って、痩せるってのも一石二鳥や
後ろに廻って、友人がさらに言う。
『 高谷ちゃん 高谷ちゃん、洋服小さいヨ!…パツンパツンや 』
私は、友人に言った。5キロ肥えた事と、1か月後、再度会う時
ちゃんと元に戻しておくから!と言ったら、凄く真剣な顔で聞く。
『 どうやって….? 』と。
確信をもって自信まんまんに私は、答えた。
(ウズベキスタン.インチヤンカラの城内の街)
『 ひまわり油の料理を食べる! 』って。
間違いない!!
コロナ禍で…….
新型コロナ感染症の禍に、世間がすつぽり包まれてから
早2年が経過した。私達の業種は、直に影響を受ける業種
では無かったが、それでも展示会は出来ない、お客様宅
への不要の訪問は出来ない等、制約の多い中での2年間の
営業活動であった。
何とか激しい落ち込みも無く、やって来る事が出来た。
そんな日々の中、休日は家に居る事も多くなった。
何かやる事は無いか?…..
今迄やりたくても出来なかった事を、この際思い切って
やってみよう!そこで、私は自身の全図書を引っ張り出して、
整理して目録を作ろうと思い立ち、始めた訳だ。
これがなかなか大変で、全体の7割りをすぎた頃リタイア
😢😭😢…….
一番多かった作家は、松本清張….次が浅田次郎…..次が、森瑤子
次が、司馬遼太郎…五木寛之….瀬戸内寂聴(晴美)..田辺聖子..連城
美紀彦..石川達三..陳瞬臣..宮本輝…. 特別多いのはその辺りの作家
自分でも、気が付かなかった。
買って来て、読み終えて入れていくだけで、意識して無かった。
本を、今、2重に入れてあるので、シンプルに1重で入れることの
出来るスペ-スと本箱が必要だ。今8畳の洋間だから10畳くらい
欲しい。目録を作ることには、結構集中した。仕事から帰ったら
ずっとパソコンに向かった。
あまりに、気を入れ過ぎて目が霞んで見えなくなった。
皆から白内障ちがうか?….とか言われたけど、そんな事では無い。
兎に角、私は気を入れ過ぎた! 7割くらい出来たところでリタイア!
しばらく休憩だ。
ナイル川クル-ズ
ゴ-ルデンウィ-クが始まった。
昨年の今頃は、仕事を終えそのままス-ツケ-スを引いて、
関空行きのリムジンバスに乗った。
23時58分発のドバイ行き……
今年のゴ-ルデンウィ-クは、新型コロナウイルスの
感染拡大の影響で状況が一変した。
ナイル川クル-ズ船でコロナウイルスの感染者が出た
と言うニュ-スを聞いて悲しい気持になった。
私も、昨年のゴ-ルデンウィ-クに行った場所だから
とにかく素晴らしいよ。
乗客.乗員合わせて100名くらいの客船で、ナイル河を
ルクソ-ルの方に下って行く。
アスワンハイダムに寄ってから、アブシンベルに
向かった。
アブシンベル神殿は、アスワンから砂漠の中の一本道
ハイウェイを片道3時間の行程。
バスに乗って、砂以外何も無いハイウェイを往復した。
アスワンに戻り、クル-ズ船に乗った。
何日もかけて、地中海にそそぐ大河を下って行く。
船の屋上デッキのカウチソファ-に座って、河を
下る。
(蛇使いのおじさん、写真を撮ると1ドル請求された
理解出来ずに居たら、いきなり蛇を仕掛けてきて
悲鳴をあげた~ワ、怖かった!!)
途中、観光地に寄りながら、クル-ズを続ける。
時間がゆっくり流れてゆく感覚が、何とも心地良い。
途中の観光地で下船….
ツァ-に一人観光ポリスが付く。拳銃を腰に付けている。
観光地には、制服姿のポリスが肩に自動小銃を掛けて
警備している。『こちらにいらっしゃい!….』と手招きして
遺跡を案内してあげると言われても、違和感いっぱい….
案内された部屋は、処刑が行われてた部屋…..。
チップを渡して、早々に出て来た来た。
自身の葬祭の為だけに、これだけの建物を造らせるのって
凄いよね!
見るもの、全て驚きなのだけど、兎に角暑くて暑くて
それが辛い! 意欲が無くなる。
休憩でお土産物店に入ったら、グリコのジャイアントコ-ンを
売っていた。
ギザのピラミッドとカイロ博物館でツタンカ-メンの
黄金のマスク等見学……
スフィンクスも足元に行くと、その大きさに
驚く。
カイロ博物館で見たアヌビス神…..
ツタンカ-メン王の柩を守っていた。
金の首輪を巻いて、本当に品の有る美しい姿の
冥界の神さんだ。
(トルコのブル-モスクと同じ建築様式の
モハメド.アリモスク…..)
無防備……。無邪気な恰好でお昼寝をしてる。
同じ犬でも、アヌビス神とえらい違いだ!!
ナイル河クル-ズ船のコロナウィルス感染ニュースに
心を痛めている。
一日も早い感染の終息を祈っている。
ウズベキスタンに行った…..
今年の夏も忙しくて、大変な夏であった。
主に暑さに依るエアコンの取付の依頼に追われる日々であった。
暑さと休みが取れない事と、結構疲れがピ-クに来てたと思う。
今年の初めに申し込んで、楽しみにしていた旅行に行って、身体
休めも兼ねたらいいと思って居た訳だ。
ウズベキスタン…….
子供の頃、社会の授業の世界地図の上でしか知らなかった国。
『青の都……』とツア-のタイトルにあった。
シルクロ-ドの交易で栄えた街、サマルカンド….くらいは知ってた。
シルクロ-ドは大好き!!
敦煌の先に有る陽関に行った時、360度の荒涼とした砂漠に
たったひとつ残るのろし台の遺跡の丘に登って、景色とは裏腹
抒情豊かな詩を聴いた。
……..君にすすむ、さらに尽くせよ一杯の酒
西の果て 陽関を出れば故人なし……..
目の前の荒涼と乾いた地面も、かつては青々と水を湛えた湖水や
緑の茂る街だったそうだ。
ヨ-ヨ-.マとシルクロ-ドをテ-マに集まったメンバ-がイランの側から
シルクロ-ドの曲を演奏したのを聞いて、『行きたい!!……』と思った。
『生命が躍動している…..』と感じた!!
(紙すき工場でお茶の接待をしてくれた少女)
ウズベキスタンのチャ-タ-便は、各旅行代理店の
集めた日本人ツア-客で満杯だ。
海外旅行に出て、飛行機の中が日本人オンリ-って言うのも
何だか物凄い違和感!
9時間弱の飛行の後、サマルカンドに到着した。
レギスタン広場で、ウズベキの観光協会に依る『歓迎セレモニ-』が
チャ-タ-便の日本人観光客を招待して催された。
少年も少女も背が高く、身体がしなやかで、目元の涼しい
美しい顔立をしている。
夜遅くまで歓迎セレモニ-が続いた。
翌朝、窓を開けて外の空気を入れようと思って窓枠に触った途端
ガタッン……枠ごと窓が壊れた。
一泊目は、ベッド脇の窓の修理。
まさか、こんな遠く迄やって来て、窓枠の修理をするとは思わなかった。
タキバザ-ル……..
街の城壁の外にバザ-ルが在る。隊商が寄ることで
活発な市が開かれ、大変な賑わいだったそうだ。
私も良い買い物をした。大きな布一面の刺繍…….
娘が嫁入りの時等に、親が持たすらしい。
布全体が刺繍で埋め尽くされた、立派な作品だ。
私も、ベッドカバ-にしようと思い、一枚買った。
ヒバのインチャンカラの城壁のすぐ外に最後の2日間のホテルを
とった。かつてのままの状態で、城壁と城内の街と宮殿が残っている。
( 城内の街の様子……)
( インチャンカラ西の城門 )
子供達が、すごく人懐こくて可愛い!!
インチャンカラの街中に、普通の民家がコンビニの様な
何でも屋さんを商っていた。見た目は、とてもお店屋さんには
見えない、質素な家……
表の戸を開けて、夕方でもちょっと買い物に店に寄って欲しい
と、子供達は片言の日本語で声を掛けて来る。
買い物に寄って欲しい!と声を掛けられたから、ホテルの夕食の後
城内に入って店を訪ねた。治安は良い。
お父さんと子供達が、山羊を荷車に積んで城内に入って行く。
子供達も、労働させられてると言う感じでは無く、普通に家の
手伝いをしていると言う感じだ。
大人も子供も、すごくフレンドリ-だ。
この自然の人懐こさって、日本人には絶対に無い部分だ。
知人の市会議員の子に、『幼児教育云々…..言うけど、ウズベキスタンに
行って見たらいい…..すべての答えが、あそこに有る!!』って言ったら
支援者の皆さんと行くとしたら、費用はいくらでした?……と言う話しに
成って、24万だから月々2万づつ積立しよう!!と言ったら、誰かが
『2万も誰が月々積立するのよ、無理、無理!!…』と口を挟んで来て、
この話は、ジャンジャンと立ち消えた。
残念だ!! 本当に、人や子供が素晴らしいよ、ちょっと感動だったのよ。
広西チワン族自治区にて….
食は広州に在り…….
お盆の休暇を利用して、広州から広西チワン族自治区を旅した。
前日迄は、今迄経験した事が無い様な大雨だったらしく
河も水嵩が増えていて、道もその脇に茂っている植物郡も泥をかぶっている。
広州の空港から広州の駅に移動し、新幹線に乗車した。
(新幹線の広州駅….)
広州駅は、ムチャムチャ広くて今見えてる範囲の数倍は有る。
床にペタンと座っている人、カバンを枕にして寝ている人、居間の様な
雰囲気で円く並んで座って歓談している人々…、
ゴチャゴチャ混雑している割りに人々はリラックスして居て、
憩って居る感じだ。
新幹線が出発し、程なく車窓に奇形の山々が見えて来た。
夕暮れが近づいて、窓の外は暮色に染った。
列車は、桂林駅に向って快走している。
翌朝、桂林の奇形の山々の間を流れる璃江…。
遊覧船に乗り川下りする。
前日までは大雨で、漓江下りは中止だったらしく
解禁の日の今日の混雑は、相当なものだった。
(観光客を満載した船が、続いて漓江を下る)
船が着いた所には、河川交通の交易で繁栄した町が有った。
太虚古鎮…..
かつての栄華が偲ばれる町並みだ。
立派な建物が沢山残っていた。
次の日は、チワン族の民家を訪ね、普通の家の家庭料理を
御馳走になった。山が深くて、谷から山上まで棚田が
拓かれていた。幾何学模様があまりにも精巧で、山の頂きに
近い場所に在る集落から見下ろすと、ため息が出る程美しい。
チワン族のお宅の奥さんとお婆ちゃんが、素朴な笑顔で
家庭料理をふるまってくれた。
美味しい!! とにかく美味しい!!
お婆ちゃんは、庭先の炉に火を焚いて、竹の筒に詰めた
米を炊いてくれた。美味しい!!
料理も筍とか豆腐とか木耳とか…….高級食材では無いけど
どこよりも一番味付けが良かった。本当に、美味しかった!!
食は広州に在り……って、よく聞くけど、本当だ!!
赤とうがらしや刺繍の布を沢山買ってきた。
絶対、もう一度行きたい場所だ。